第8段『蟻の行軍』

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【蟻の行軍】

 

この汗はどんな意味なんだろう。
一瞬気温の高さのせいにしたが、どうやらそうでもないらしい。 某人気テーマパークにも負けず劣らず、期間限定で大渋滞になる。 一つ違うところは皆の表情が自己主張をやめた蟻のように行く先を先頭に託しながら行軍しているのである。僕もその中の一人だ。 目の前の男は、この気温には適切ではない厚手のコートを身にまとっている。どこかの編集長の様な雰囲気を匂わせているが、服装の選択からして賢そうな印象はない。 忙しそうに取り出したスマートフォンにメモをしている。 人は怖いもので「覗いてはいけない」と思っているときには既に覗いているのだ。 男のメモのタイトルには「記事編集」と書いてある。 このタイトルからして何度もこの作業をしているのだろう。初めてメモをする人間がつけるタイトル名ではない。 同じテキストを扱う人間として、頭の中に「覗かない」という選択肢はなかった。覗く。覗く。覗く。 究極の選択をするときには天使と悪魔が現れるというが、僕みたいに自分のことが大好きすぎる人間には悪魔は寄り付かない。 「覗いて有益な情報を得られる」と思えばそれも正義であり、背中を押すのは天使である。 とにかく自分が大好きな人間だ。天使が僕を紹介してくれるとしたら、「とてもポジティヴな男」とでも言ってくれる気がする。 男は感情的になっているのか、スマートフォンを操る指が止まらない。だいたい気持ちが乗っているときはこんな現象が起こる。 小さい画面にびっちりと文字が埋め尽くされていく。 行軍を乱さぬように、彼の感情を覗いてみた。 「・・・このタイミングで利格しようと思ったのに!下がる、下がる、下がる・・・ 」
ようし、やっと相手の手札が見えた!汗がまだ止まらない。 利「格」の文字については指摘したいところだが、やめておこう。行軍が乱れる。
この時期で何かが「下がる、下がる、下がる」現象と、いま僕たちが目指しているゴールを考えると、男が何をしているかが予想つく。 漁師が海の様子をみて漁に出るか判断するのと同じで、男と僕がいる世界も変えられない流れの上で、僕たちは踊っている。いや踊らされている。
蟻は「蟻」と書かれて図鑑に載っている。 公園に行けば蟻はたくさんいるが、その一匹一匹の違いなんて誰も考えた事がないだろう。蟻は自己主張してこないし、服も着ていない。蟻は「蟻」とだけ区別されてそれ以上はない。
人間も同じだろう。いろんな雑誌に載ったところで、その服があるからその人が着ているだけで、服がなければ何も書くことなんてない。トレンドもクソもない。
「自分の体験をどう美しく魅せるか」だけのために生きている人間は相手の考えていることを深く深く深く想像できなくなっている。インターネットがそうさせているわけではない。全て想像力が足らないのだ。 全て表面に起こった現象でしか見えなくなってしまう。テレビの情報が全て正しいと誰が決めた?詐欺師は悪い商品を扱っているだけでセールストークは一級品だ。真似したいぐらいである。正義か悪かで決めるな。蟻の中にも恥ずかしがり屋だっているさ。蟻は順従に見えてどこかで王座を狙いながら行軍しているやつもいるかもしれない。そういうところを考えていくと人生は面白い。人だって見た目じゃない理由がわかってくる。
男と僕は見た目も性格も違うが、どこかで通じる部分がある。 彼の気持ちを共感できた。 そんなことを考えながら医療費控除の申請書を提出した僕であった。